シリーズで投稿してまいりました常磐線今昔物語も今回で一応の区切りとしたいと思います。
最後の車両は、常磐線の交流電化とともにデビューし、その後の「3ドア近郊型」車両の元祖となった401・415系の特集です。
401系は、その後の111系113系などの直流近郊型のモデルとなったドア・座席配置を最初に採用したモデルです。
しかしながら、常磐線の現場では、当時の国鉄の苦しい財政事情によって制作費が高額な交直流電車は必要最低限の車両しか製作されず、電車化によるスピードアップは達成した物の、4両編成×2の8両編成での運用ではそれまで旧客車列車に座って通勤できていた人が、座席数の減少で立ったままの通勤を余儀なくされるなど、現場からの苦情も多かったようです。
また、本来は451系急行型で運転される急行「ときわ」の一部、臨時列車等が401・403系の車両で運行されたこともあります。当然夏場は冷房も無く「急行券を返せ」との声もあったとか・・・(俗に言う偽ときわ号)
現在では、土浦以南の近郊区間では他の線区に先駆けて快速線での15両編成を実現するなど、混雑の緩和がやっと進められたという感じです。これまで長編成化や冷房化に時間がかかったのも401系から始まる交直流電車の特殊性から他線区からの転入や転出も無く勝田電車区(現車両センター)に配置された車両でやりくりしなければならなかったという事情があったようです。
最後の車両は、常磐線の交流電化とともにデビューし、その後の「3ドア近郊型」車両の元祖となった401・415系の特集です。
401系は、その後の111系113系などの直流近郊型のモデルとなったドア・座席配置を最初に採用したモデルです。
しかしながら、常磐線の現場では、当時の国鉄の苦しい財政事情によって制作費が高額な交直流電車は必要最低限の車両しか製作されず、電車化によるスピードアップは達成した物の、4両編成×2の8両編成での運用ではそれまで旧客車列車に座って通勤できていた人が、座席数の減少で立ったままの通勤を余儀なくされるなど、現場からの苦情も多かったようです。
また、本来は451系急行型で運転される急行「ときわ」の一部、臨時列車等が401・403系の車両で運行されたこともあります。当然夏場は冷房も無く「急行券を返せ」との声もあったとか・・・(俗に言う偽ときわ号)
現在では、土浦以南の近郊区間では他の線区に先駆けて快速線での15両編成を実現するなど、混雑の緩和がやっと進められたという感じです。これまで長編成化や冷房化に時間がかかったのも401系から始まる交直流電車の特殊性から他線区からの転入や転出も無く勝田電車区(現車両センター)に配置された車両でやりくりしなければならなかったという事情があったようです。
★まずは401・403系旧塗装車
1.羽鳥〜石岡間を走る上り普通電車

2.羽鳥〜石岡間を走る上り急行電車(通称・・偽ときわ)


3.雪景色の石岡〜羽鳥間を走る下り普通電車

昭和60年、1985年につくば市で開催された「つくば科学万博」に向けて常磐線のイメージアップを図るため、それまで「赤電」と呼ばれた車体色をホワイトのベースに青20号のラインに統一されました。
一見すると千代田線に相互乗り入れしている小田急の電車の「真似」では??といわれたり、外が綺麗になっても中身は今までと一緒など現場では冷ややかな眼で見られていましたが、数年が経過してやっと認知されるようになりました。
1.高浜〜石岡間を走る403系(冷房改造車)

2.高浜〜石岡間を走る403系(冷房改造車)


3.415系1500番台のステンレス車にまざって白電(鋼製車)が走ることもありました。

現在常磐線の近郊区間では531系と501系の運用だけとなりましたが、(501系は土浦以北)水戸線区間と常磐線の水戸以北では415系1500番台がまだ運用されています。
しかし、「白電」として親しまれた401系・415系(鋼製車)はすでに常磐線からは撤退し、一部JR九州に転属したものを除いては廃車されました。
415系を語る上ではずせないのが一時期在籍していた2階建て普通車の「クハ415-1901」ですが、すでにこの車両も郡山にて解体されてしまいました。
1.石岡〜高浜間を走る上り415系(白電・鋼製車)

2.高浜〜石岡間を走る下り415系(白電・鋼製車)

3.羽鳥〜石岡間園部川橋梁を渡る上り415系(白電・鋼製車)



































