1泊2日の予定で出発した磐越西線ローカル線の旅でしたが、思わぬ大雪のため、会津若松にて足止めを余儀なくされ、もう1泊することになりました。
幸い、駅前のホテルに宿泊することが出来ましたが、夜中の3時過ぎには宿泊していたホテルの窓から「ビュービュー」という風の音が聞こえてきました。
眠い目をこすりながら外の様子を見てみると、とても強い風が吹き、雪が吹雪になっていました。
このままの天候だと、最悪もう1泊しないと電車もバスも動かないのではないかと不安な気持ちになりました。
2104/02/16 朝、ホテルでの朝食を済ませて、会津若松駅に向かいます。
磐越西線の郡山方面は今日も午後2時過ぎまで運休が決まったとの案内がありました。
新潟方面の列車は今のところ定刻で運転しているが、雪や風の状況でいつ運休になるか分からないという解答でした。
しかし、昨日と違っていたのは、上越新幹線が今日は動くという情報があったことです。
郡山方面の運転再開を待つか新潟に戻るか「決断」の時が来ました。
決定的なことは、午後まで待って運転再開されても、郡山から先は東北新幹線も、水郡線も不通となっているという状況から、新潟に戻ることを選択しました。
朝。6:50会津若松発新津行き223D普通列車に我々の運命を託して、風雪が少し弱まってきたまだ薄暗い会津若松駅を出発します。
途中の喜多方駅で数分間の停車、次の山都駅ではすれ違いの列車が強風による徐行運転のため遅れが出ているということで十数分ほど停車。
新潟県に近づくにつれて風も雪も強くなり、ついに県境の駅の手前で列車は緊急停止してしまいました。
強風にあおられて、40トン以上もある車両が揺れているのが分かるぐらい強い風です。
車内では不穏そうにしている乗客に車掌が状況を説明しています。
このまま運転中止になったら・・・最悪の事態が頭をよぎります。
しばらくするとアナウンスで風が弱まってきたので、次の駅まで行くという案内がありました。
駅まで徐行でたどり着くと、またしばらく停車。自転車が走るぐらいのスピードで次の駅に向かいます。
県境の数駅をこのような徐行運転でしのいで走り、やっと新潟県側の駅に到着。
徐行制限も解除となり、列車はまるで息を吹き替えとーしたかのようにいつものスピードで新津駅を目指します。
馬下駅辺りからはどんよりとしたねずみ色だった空の色もところどころ青空が見えるようになって来ました。
新津駅では新潟駅行きの電車が待っていてくれて、待ち時間なしで新潟まで向かいます。
終点に到着したときには午前11時を過ぎていました。
本来なら9:23には到着していたはずなので、90分以上の遅れとなっていました。
新潟で新幹線のきっぷと弁当を買って、次に発車となる東京行Maxとき324号を待ちます。
新潟でほぼ満席となったMaxときは定刻に新潟を発車し、越後湯沢までの各駅に停車して乗客を乗せていきましたが、運転本数が少なくなっていたため、越後湯沢ではホームに乗車できない乗客を残して出発する事態となっていたようです。
何とか東京までの足を確保した私たちは新潟駅で買った昼食のちらし寿司を車内で食べて、その後はぐっすりと寝てしまいました。
高崎が近づくと、ここは越後湯沢ではないのかと思うほど一面の雪。
この光景が熊谷の早紀まで続いています。これだけの雪が埼玉・群馬地方に降っていたとは思いませんでした。
上野から先の常磐線が心配になりますが、新幹線の車内の電光掲示板にはまったく常磐線の情報が出てきません。
不安な気持ちで上の駅で下車すると、強風のため多少の遅れはあるが、常磐線は通常運行していると聞きホッとして常磐線のホームへと向かいます。
2月14日の出発から50時間以上経過し、やっと家路に着くという実感を味わいながら常磐線の車窓を眺めていました。
何はともわれ、1泊2日が2泊3日になりましたが、天候に左右されながら今までにない体験が出来た旅となりました。
5回にわたりブログをアップしましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
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