2014年06月

 本日、先般発売となったKATO製Nゲージ「E7系」北陸新幹線が届きました。
 12両編成のうち、基本セットの3両は、紙製のブリスターパックで。
 増結セットAの3両と増結セットBの6両がケースつきでAセットの空いた部分に基本セットの3両がセットできるようになっています。
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 ただし、1号車から12号車までを順番にケースに並べることは出来ません。
 Aセットに先頭車2両が収納されることと、パンタグラフなどの関係で少し並びを変えて収納する必要があります。
 ケースの型枠を改良すれば、2つのケースに順番に並べることも可能ですが、現状では仕方ないのでしょうね。
 収納時に入れる場所を間違えないように、ケースのスポンジに車番をつけておくのもよいかもしれません。
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 まだ試運転はしていませんが、デカールの出来はとても良いです。
 行き先の掲示板は「長野」列車名は「あさま」になっています。
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 先日、行われた「スイカ電子マネー10周年キャンペーン」に応募したところ、スイカペンギンの「タンブラーマグ」が当たりました。
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 蓋付きのタンブラーで内側はステンレス製のようです。
 蓋の部分に回転式のスリットが付いていて、蓋をしたまま中身の飲み物が飲める仕組みになっています。
 本体の横には、スイカペンギンのスイカ10周年記念ロゴが印刷されています。
 コレで飲むビール(第3のビールですが・・・)はきっと美味しいでしょうね。
 
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 22日午前4時15分ごろ、北海道木古内町のJR江差線札苅(さつかり)駅で、走行中の貨物列車が脱線し、緊急停止した。

★写真は北斗星の車内から見た函館本線(参考資料)
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 同じ江差線内では2年前にも貨物列車の脱線事故があり、線路の補修が必要にもかかわらず、組織ぐるみで隠蔽したとして国交省の立入検査も受けていたにもかかわらず、また今回のような脱線事故が起きたのはとても信じがたいことである。
 今回は、直前に行われていた線路の点検では異常が見られなかったということであるが、それにしても脱線事故の発生件数があまりにも多いと思われる。
 JR九州の指宿枕崎線の脱線事故はまさに天災であるが、JR北海道の一連の脱線事故は人災とみられることから、今後の鉄道運営そのものを見直す必要があるのではないだろうか?
 
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 昨日、開催の告知を忘れてしまいましたが、本日石岡市まちかど情報センターにて毎月第3土曜日に開催される「サンド市」フリーマーケットに参加しました。
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 お天気が心配でしたが、何とか雨には降られず、終了しました。
 蒸し暑かったのと、お天気があまり良くなかった為、来客数は少なめでしたが、今回も80歳を越えたおばあちゃんが参加してくれました。
 お年寄りがサンド市に参加してくれて、楽しんでくれるのは良いものですね。
 来月は、7月19日開催予定です。
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 植木、鉢物のスズキさんも参加予定です。
 また来月のご来場お待ちしています。
 
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 昨日、出張で日立市に行った帰り道、社長の指示で常陸太田市を経由して帰りましたが、その道すがらに立派なお寺を発見。
 早速駐車場に車を止めて散策しました。
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 常陸太田市のHPによるとこのお寺は・・・
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★佐竹寺は,鎌倉時代から江戸時代にかけて常陸国を支配した佐竹氏代々の祈願所で、大同2(807)年の開山,あるいは,寛和元(985)年に花山天皇の勅願を受けて元密上人が創建したとも言われています。
 創建当初は,鶴ヶ池の北に位置する観音山にあったが,天文12(1543)年に兵火によって焼失,同15(1546)年に佐竹義昭によって再建されました。
 一時は隆盛を極めたものの,佐竹氏の秋田移封にともない,その寺運はしだいに衰えていきました。
 本尊の十一面観音像は,安産や厄除けなどに御利益のあるとされる仏様で,坂東三十三観音二十二番霊所にもあたることから,巡拝者が絶えない古刹としても広く知られています。
 重厚感あふれる佇まいの本堂は茅葺き寄棟造りで,正面中央には唐破風が設けられており,正面の火頭窓や柱,組物など,あらゆる箇所に桃山時代の建築物の先駆とも言える遺構が残された,常陸太田市の誇る貴重な文化財の一つです。
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 とあります。
 茅葺の本堂は、東日本大震災の影響も少なかったのか、その優美な姿が完璧な姿で残っていましたが、寺の入り口にある山門(仁王門?)は屋根が壊れて、頭上注意の看板が設置されていました。
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