カテゴリ: 撮り鉄
廃線の旅 (筑波鉄道)
※この記事は「ひたち野高速鉄道本店HP」より転載したものです。
平成5年頃に筑波鉄道の廃線跡を撮り鉄したものです。
平成5年頃に筑波鉄道の廃線跡を撮り鉄したものです。
廃線の旅 (筑波鉄道)
1.筑波鉄道の歴史
・大正3年4月11日 筑波鉄道株式会社創立
(常磐線土浦駅から水戸線岩瀬駅間4O.1km)
商 号 筑波鉄道株式会社
資本金 90万円
開 業 大正7年4月17日 土浦-筑波間20.2Km
大正7年6月7日 筑波-真壁間10.0km
大正7年9月7日 真壁-岩瀬間9.9km
・大正3年4月11日 筑波鉄道株式会社創立
(常磐線土浦駅から水戸線岩瀬駅間4O.1km)
商 号 筑波鉄道株式会社
資本金 90万円
開 業 大正7年4月17日 土浦-筑波間20.2Km
大正7年6月7日 筑波-真壁間10.0km
大正7年9月7日 真壁-岩瀬間9.9km
・昭和20年3月20日陸軍統制令により、常総鉄道株式会社と合併し、常総鉄道株式会社となる。
・昭和40年6月1日鹿島参宮鉄道株式会社と合併し、関東鉄道株式会社となる。
・昭和54年4月1日 関東鉄道株式会社より分離、創立し、筑波鉄道株式会社となる。
資本金 1億円
資本金 1億円
・昭和62年3日31日筑波鉄道 廃止
2.廃線を訪ねて
筑波鉄道廃止から6年目の初夏、ふと思い立ってバイクにまたがり廃線跡をたどってみた。
コースは、筑波駅からかっての本社のあった新土浦までの18.5kmをえらんだ。
(1)筑波駅
筑波駅は本舎こそ廃線前の姿をとどめていたものの、駅前はタクシーとバスのターミナルと化し、タクシーの運転手がが暇を持て余している寂しさであった。
駅前を散策していると、東京駅行きの高速バスがバス停留所に到着した。現在8往復の東京直行便が連行されている。
土浦寄りの踏切跡からホームへまわつてみると、すでにレールやポイントが撤去されプラットホームに雑草が繁つているのが印象的であった。
(2)筑波-常陸北条間
筑波駅を出ると廃線跡は、水田の中を国道125号線と平行して走り始める。
いくつかの農業用水を越え、少し大さめな川にさしかかるとまだ新しい橋脚が現れたがすでにしールは撤去され、まるで自動車用の橋のようにも見えた。
常陸北条駅に近づくと、廃線跡は自転車専用道路(サイクリングロード)に変身していた。
筑波駅を出ると廃線跡は、水田の中を国道125号線と平行して走り始める。
いくつかの農業用水を越え、少し大さめな川にさしかかるとまだ新しい橋脚が現れたがすでにしールは撤去され、まるで自動車用の橋のようにも見えた。
常陸北条駅に近づくと、廃線跡は自転車専用道路(サイクリングロード)に変身していた。
(3)常陸北条駅
常陸北条駅は、すでに駅舎も撤去され、ホームの前にはバス停留所の標識がポツンと立つていた。
ホームの片隅には紫陽花の花が咲いていた。
常陸北条駅は、すでに駅舎も撤去され、ホームの前にはバス停留所の標識がポツンと立つていた。
ホームの片隅には紫陽花の花が咲いていた。
(4)常陸北条-常陸小田間
北条の町並みを過ぎると国道125号線の陸橋をくぐり、また水田地帯を走り始める。
自転車専用道路はこの水田地帯の中で終わり、しばらくすると筑波鉄道の起点となる土浦から何km地点かを示すキロポストが雑草の中に埋もれていた。
廃線後6年の歳月を物語るかのようにペンキが剥がれかかっていたが、かろうじて「14」という数字が読み取れた。土浦まであと14kmという意味である。
北条の町並みを過ぎると国道125号線の陸橋をくぐり、また水田地帯を走り始める。
自転車専用道路はこの水田地帯の中で終わり、しばらくすると筑波鉄道の起点となる土浦から何km地点かを示すキロポストが雑草の中に埋もれていた。
廃線後6年の歳月を物語るかのようにペンキが剥がれかかっていたが、かろうじて「14」という数字が読み取れた。土浦まであと14kmという意味である。
(5)常陸小田-田土部間
線路脇の空き地に廃車になった路線バスが無惨な姿で放置されていた。
去りゆく者の結末はとても寂しいものであるという実感が湧いてくるような荒涼たる風景であった。
線路脇の空き地に廃車になった路線バスが無惨な姿で放置されていた。
去りゆく者の結末はとても寂しいものであるという実感が湧いてくるような荒涼たる風景であった。
(6)田土部停車場
ホームは雑草で覆いつくされ、小さな木が一本だけ取り残されたようにも見える。
筑波線を立体交差するためにつくられた陸橋は一体何だったのだろうという不思議な疑問が頭の中を駆けめぐっている。
ホームは雑草で覆いつくされ、小さな木が一本だけ取り残されたようにも見える。
筑波線を立体交差するためにつくられた陸橋は一体何だったのだろうという不思議な疑問が頭の中を駆けめぐっている。
(7)常陸藤沢駅
常陸藤沢駅もすでに駅舎が撤去され、かつてホームにあった藤棚もなく、桜の木がこの駅の歴史を見守つているかのようだ。
駅構内の踏切跡は、踏切の手前で分岐し、二筋のレールが残されていた。
常陸藤沢駅もすでに駅舎が撤去され、かつてホームにあった藤棚もなく、桜の木がこの駅の歴史を見守つているかのようだ。
駅構内の踏切跡は、踏切の手前で分岐し、二筋のレールが残されていた。
(8)坂田停車場-虫掛駅間
廃線跡は、桜川沿いの水田地帯をひたすら土浦に向かって走り続ける。
このあたりは、秋の花火大会では絶好のポジションとなったが、今となっては、列車の窓から花火を見ることはできない。
廃線跡は、桜川沿いの水田地帯をひたすら土浦に向かって走り続ける。
このあたりは、秋の花火大会では絶好のポジションとなったが、今となっては、列車の窓から花火を見ることはできない。
(9)新土浦駅
土浦駅を出て最初の駅が新土浦である。駅のそばには関東鉄道の本社や真鍋機関区があり、駅の売店ではおばちやんが駄菓子のようなものを売っていたような記憶がある。
現在は関鉄本社とホームが残るのみとなり、駅の跡には立派なビルがそびえていた。
土浦駅を出て最初の駅が新土浦である。駅のそばには関東鉄道の本社や真鍋機関区があり、駅の売店ではおばちやんが駄菓子のようなものを売っていたような記憶がある。
現在は関鉄本社とホームが残るのみとなり、駅の跡には立派なビルがそびえていた。
3.復活の足音
つくば市にある「さくら交通公園」にはD51蒸気機関車のとなりにかつて筑波線を走っていた気動車が保存されている。
注)キハ04は現在、JR東日本の鉄道博物館に展示されています。
この気動車は、旧国鉄のキハ04型8号車で現在鉄道マニアの人たちにより、復元作業が行われ、化粧直しが進んでいる。
大正7年の開業以来、70年余りにわたって地域の人々の足として活躍してきた筑波鉄道であるが、モータリゼーションの波にのまれ廃線という選択を余儀なくされてしまった。
いつまでもこの鉄道の歴史を残しておいてほしいと思う。
熊谷にある東武妻沼線の跡は、「カメの道」として公園などに利用されているが、筑波線も何らかの形で廃線跡を活用してもらいたいものである。
注)現在、筑波鉄道の廃線跡はサイクリングロードして整備されています。
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街中のレッド・トレイン~日立電鉄
※このブログは、ひたち野高速鉄道本店HPより転載した記事です。
~ 街中のレッド・トレイン ~ 日立電鉄
平成16年5月3日 廃止まで1年余りとなった日立電鉄線の列車を追って、常北太田から久慈浜間にて撮影を行った。
常北太田を出発し、国道394バイパスの陸橋をくぐる直前の鮎川行18列車
小沢駅を出発し、里川橋梁をめざす常北太田行17列車
菜の花が咲く里川橋梁を渡る鮎川行20列車
茂宮駅を出発する常北太田行19列車
常磐線とクロスする久慈浜トンネルをくぐる鮎川行22列車
久慈浜トンネルをくぐり南高野に向かう常北太田行21列車
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鹿島鉄道DD13形ディーゼル機関車さよなら列車運行
※このブログは、ひたち野高速鉄道本店HPより転載した記事です。
鹿島鉄道DD13形ディーゼル機関車さよなら列車運行
去る、平成15年4月12-13日に茨城県石岡駅から鉾田駅までを運行する鹿島鉄道のDD13形ディーゼル機関車のさよなら列車運転が行われた。
桃浦駅を出発する上り列車
もともと鹿島鉄道は、その主力業務の一つとして沿線の小川町にある航空自衛隊百里基地へのジェット燃料輸送業務を行っていたため、最近までタンク車を牽引したDD13型ディーゼル機関車の貨物列車を見ることができた。
満開の桜がDD13の勇姿を見送る:桃浦駅にて
しかし、近年ジェット燃料輸送がトラック便へ移管され、これに伴って鹿島鉄道での貨物取り扱いは事実上無くなってしまった。鹿島鉄道では、かつてDD901という機関車も保有していたが、現在は常陸小川駅構内の引き込み線に放置されている。
桃浦駅に張られたポスター
客車の代わりに気動車が使われた
記念乗車券のポスター
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鹿島鉄道鉾田線1998夏
※このブログは、ひたち野高速鉄道本店HPより転載した記事です。
鹿島鉄道鉾田線1998夏(特集:キハ601)
1998夏鹿島鉄道鉾田線のホームに旧国鉄準急色に(肌色とオレンジのツートンカラー)塗装された気動車が現れた・・・
以前から在籍して通学輸送時に活躍しているキハ601である。
~ 桃浦駅 ~
一路石岡駅を後に、霞ヶ浦湖畔の駅桃浦に向かう。
ここ桃浦では上り列車と下り列車の交換風景が見られる
桃浦駅に入線するキハ601
桃浦でKR500系レールバスと交換
~ 浜 駅 ~
桃浦駅を過ぎると列車は霞ヶ浦沿岸をコトコトと走る。
浜駅からは、徐々に左にカーブして鉾田駅を目指す。
浜駅に入線するキハ601
息子夫婦を見送る老人
浜駅を出発するキハ601
浜駅前のロータリーには季節の花が・・・
~ 鉾田駅 ~
鹿島臨海鉄道の新鉾田駅までは歩いて20分ほど・・
鉾田駅にて停車中のキハ601
鉾田駅にて出発を待つ
※このブログは、ひたち野高速鉄道本店HPより転載した記事です。
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